雷雲とうさ耳

お笑いとジェンダーと雑多なお気持ちと少しだけ旅。

「フェミニズム」を考える

皆さんは「フェミニズム」という言葉を聞いてどう感じるだろうか。

「何だかうさんくさい」「過激」「ミサンドリー」「男性を攻撃することで地位向上を狙っている」「感情的で論理がない」…こんなイメージが大半ではないだろうか。

私も事実、未だにそのイメージを「フェミニズム」という言葉から拭い去れずにいる。「フェミニズムの敵は過激なフェミニスト」とはよく言ったもので、穏健派の私からすると正直、なんというか、フェミニズムを名乗らないで活動してくれないかな…と思ったりすることもある。

私は、自分の中にそのイメージがあるからか、自分が「フェミニストである」とはっきり言えたことは一度もない。「フェミニズムに興味がある」「ジェンダー問題を研究したい」ということはあっても、「自分はフェミニストであり、こういう意見があります!」というのは言いづらい世の中だ。

私が「フェミニズム」「フェミニスト」という単語を出した時の反応(特に男性)(というのは、女性は大抵「興味がない/考えたことない」か「共感」みたいな反応が大半なので)は大抵敵意or揶揄の二択である。まぁ多分私が言う相手を間違えているんだろうなぁとも思うけども。

つい最近あった話をしよう。一つ目は、日本人の男子学生に「まぁ、どちらかというと…フェミニストなのかもねっ?」みたいな言い方をした時の話だ。まず、相手は一瞬固まった。その後、少し笑い、そして、「えっ、フェミニストってさぁ…」と、私が何も言っていないのに反論を始める。そして、その意見に対して、私が「それは…」とか「確かにそういう部分はあるけど…」と反論を始めると、「出たwwwご意見www」とか、「うわっwwwこわっwwww」とか言ってちゃちゃを入れてくる。イラっとして話すのをやめると、「ごめんごめんwwwちゃちゃ入れないで聞くわwww」と言いつつちゃちゃを入れてくる。最終的に「ねぇフェミニストさん」とか呼んでくる。そんなに馬鹿にせんでも…とこちらは思うわけである。

彼の態度の中には明らかに「フェミニズム」ひいては「フェミニスト」に対する軽蔑・嘲笑が見られるし、はなから「こいつらは正しいことは言わないのだから聞かなくていいだろ」「こいつらはどうせ感情で動いているんだから真面目に取り合っても無駄」みたいな姿勢が垣間見える。いやモロ見えか。

もう一つは、スイスの友人に「フェミニズムの研究をしたいと思っている」と言ったときの反応だ。彼はかなり建設的で、「最近のフェミニズムは、男性を攻撃するのみのフェーズに入ってしまっているし、あまりよくないと思う」と言っていた。私はその意見自体には賛成だし、寧ろそのように批判的にみる立場の人間は多ければ多いほどいいと思っているので、かなりありがたいと思った。

このように、私の話を聞いた時の反応はかなり異なるものではあったが、二人に共通していた意見がある。それは

「結局男側と女側の妥協で今この世界はできているわけで、変える必要はないんじゃない?」

というものだ。長い時間かけて妥協してきたじゃん。いい面も悪い面もあるけどそれはお互いさまで受け入れていこうよ。という意見だ。いやそれは百歩譲って我々が言うならわかるけどあなた方が言うのは少し違くないか。そして私はこう思う。

「妥協できてたらこんな女性解放ムーヴメント起きないだろーーー!!」

妥協は失敗したんだ。その妥協点は、今の時代には即していない。だから不満やひずみが多く出てきて、今まで声を上げる気なんてなかった数多の女性たちが、声を上げ始めた。だから、またお互いに納得のいくところを徹底的に探そうというのが今のフェミニズムなんじゃないのかなと、思いませんか?

かなり多くの「自称・フェミニスト」たちは、男性の行動を攻撃し、男性の考え方を攻撃し、攻撃し続ける。攻撃は生産性が無い。攻撃されたら攻撃し返したくなるし。落ち着いて、膝を突き合わせて妥協点、という言い方がいいのかはわからないが、そこを話し合った方がよくないか?と思うわけです。

フェミニズムは「どちらかの性」の問題ではない

フェミニストは男ばかり攻撃する、とか。男はフェミニストになれないんだから議論に入ってくるな、とか。いやいや、みんなの問題だからね、と思わざるを得ない。さらに言うなれば、トランスだろうとなんだろうと、関係ない。みんな、対象。だってこれは扱われ方の問題だから。自分が男性/女性(の見た目をしている人)をどう扱うか、という問題。そして、男性/女性どちらかの見た目として見られている自分がどう扱われるか、という問題。

そして、男性をどういうものと認識し、女性をどういうものと認識するか、というのは根強く、社会的に育まれてきてしまっているわけで、程度の差はあれど、根幹部分はなかなか揺らがない。頭で「男女は平等だ!」といくら考えていても、「男にしかわかんない感覚だよなぁ」とか「これだから女の子は感情で話しててロジカルじゃない」とか、ふと自然に出てくる感想が、もう自分の中に根強く凝り固まった「男女差別意識」をベースとしてしまっているわけである。

これって、男性にしかない問題でも、女性にしかない問題でもなく、人類全体が持つ問題なわけだ。そして、すべての人が、男性も女性も、フェミニストもセクシストも、上野千鶴子もみんな、自分の根幹に差別意識があるということを常に意識しなければならない。自分の根幹に差別意識があることを忘れて議論を進めようとすると、表面上の、具体例を攻撃する二項対立の構造になってしまう。だから、お互いの意見を聞きあいながら、そして自分の中にある性差別意識がどういうものなのかを理解しながら話を進めていったほうが建設的だと思う。

これ、意外と難しい話で、「そんなこと考えているわけない」「そんなの当然だ」と思っているところから見直していかないといけない。たとえば、「女性は出産をするから、子供に対する愛情は自然と湧いてくる」とか。本当にそうだったら、ネグレクトも虐待も存在しないだろアホかと思うわけだが、「愛情深い母親像」といういかにもなイメージがそれを邪魔するわけだ。そういう、常識的に考えて、「そんなわけないじゃん」というところに、そこにこそ、むしろ、自分の中の根深い男女差別意識が存在するんじゃないかなと思う。

フェミニズムのイメージ

個人的に、フェミニズムは単語の選択で非常に損をしていると思う。「イズム」は主義・主張である。あらゆる研究をベースとした主義主張を行っている学者が多くいるにもかかわらず、「イズム」部分が邪魔をし、「過激な主義主張」というイメージをなかなか拭うことができていないと思う。また、フェミニズムに関わる言葉で、「女性解放」という言葉もあるが、これは非常に良くない言葉だと思う。勿論男性側からも「俺らがいつ拘束したよ?」とか言われるわけだし、何よりも、女性が解放「される」という受身形なのが非常に気に食わない。何で解放「される」なわけ?女性自身が中心になって起こしていくムーブメントでどうして受け身なの?とついつい腹を立ててしまうわけである。

ここでもう少し適当な言葉を捻出できたら素晴らしいだろうとは思うが、全く思いつかないので、思いつかないなぁ。誰かいいのあったら教えてね。とだけ言っておこう。

とにかく、フェミニズムと一口に言っても、あらゆるフェミニストがいるし、その主義主張もばらつきがあり、中での対立も当然ある。だから、もう少し「フェミニズム」という言葉を、顔をしかめることなくニュートラルな気持ちで聞いていただきたいのである。

最後に:お気持ちとして「媚びる女」「ぶりっこ」について

これはフェミニズムの本筋とはずれるのだが、「フェミニスト」と呼ばれる人たちに非常に多い主張として、「媚びる女は敵」「ああはなりたくない」みたいなものがある。それから、一見敵意を見せてはいないが「媚びている女の人たちは、社会にそういう生き方を強いられているんだよ。かわいそうだね。」という意見。

別にどういう意見を表出しようと自由だが、私には一つ危惧していることがある。それはいわゆる「媚びる女性」「ぶりっこ」と呼ばれる女性たちが、フェミニズムが前進していくことによって生きづらくなってしまうのではないかということである。この世界は、グローバル化、多様性を標榜して日々進み続けているのではないのか。(といいつつグローバル化とかいう単語は嫌いだけど。)なのに彼女らの生きづらさを増やしてどうする、とつい思ってしまうのである。マイノリティもマジョリティも生きやすい、せめて生きづらくない世の中に向かっている流れなのではないのか。私は、少しでも多くの「今」生きづらい人たちが生きづらくない世の中になればいいと思って情報、いや主に意見を発信しているが、それは「今」うまくやっている人たちの生き方を否定し、「あなたは間違っている。かわいそうに。」とレッテルを貼るためではない。一つ一つの過程において、一人でも多くの生きやすい人を生み出していくためではないのか。

そしてもう一つ。「彼女らは押し付けられているんだ、かわいそうなんだ」というのは一見共感を示しているようで全然違う。彼女らには「自分で選択する能力がないのだ」と、一部の男性が女性に対してそう思うように、下に見ているだけなのだ。勿論、そういう選択をやむを得ずしている女性たちもいるかもしれない。と同時に、自らはっきりと「媚びを売って生きていく生き方って、ある種かっこいいじゃん」と感じ、信じ、選択している女性たちもいると思うのだ。だから、「かわいそうだ」という意見は、優しさのオブラートに包んだただの悪口だ。それならまだ、「私はああいう生き方は嫌い」という意見の方が建設的である。

同じ問題として、この先、専業主婦として生きる女性たちがどんどん生きづらくなっていくように思う。もしこのままの状態で、考え方で、フェミニズムが進展してしまったならば。結婚して専業主婦になりたいという友達に対して、「専業とかwww絶対無理www」と言ったら、相手は傷つくだろう。それは、フェミニストたちが必死に抗議している、男性が、女性の選択をあまりにも尊重しない・揶揄する、という流れと似通った構造ではないだろうか。女性は劣っているから男性が誘導して「あげる」。フェミニストは自分がひどい状況にあることをわかっていないからフェミニストが誘導して「あげる」。そんな構造を再生産していったい何になるのか。私は少しでも、自分を幸せにする過程において、色々な人の幸せづくりも手伝いたいと思うし、自分も行動しながら、この世界の行く末を見守っていきたい。いや突然何の宣言。

相変わらずブログなのに小学生の感想文みたいなまとめ方でほんと草。反論・議論・その他コメント待ってます。