雷雲とうさ耳

お笑いとジェンダーと雑多なお気持ちと少しだけ旅。

とりあえず開設。

珈琲を飲んだら眠れなくなったので、ブログを開設することにした。

人がブログやらnoteやら書いているのに触発されて書くなんて、自分が所詮は猿真似をしている人間の一人に過ぎないということを思い知らされて最高に皮肉だ。特に自分をある程度特別な人間だと思って、意見を発信しようとしている私のような人間にとっては。私は自分を特別な人間だと思っているのだろうか。いや、こんなことはどうでもいいことだ。少なくとも私が、「私の発信する意見は少なくともこれを見るうちの少ない誰かのためには有益かもしれない」と思っているのは確かである。

実は何回かブログやら日記やらというのは挑戦したことがある。ここに新しく書き込んでいるということは、お察しの通り挫折続きだということだ。私が挫折したのは、「人の目を気にしすぎた」こと、つまりは「自分の書きたいことを書けなかったこと」と、あとは単純にブログに求められる長さのせいだろう。おかげさまでツイッターはその基準を難なくクリアし、始めてから三年以上の月日が経った。インスタグラムとフェイスブックは上手く運用できない陰キャである。

何の話だったか。そう、書きたいことを書けなかった、という話である。大した影響力もないツイッターアカウントを持ってして、誰かに否定されることを恐れて書くことを断念したことが何度もある。でも、恐れないで書くことは、私の中に新しい意見を生むことにつながる。書いて、誰かに意見してもらって、考えて。アウトプットと自分の中での意見の熟考を、バランスよく組み合わせることで、きっとよりよい意見がアウフヘーベンされていくはずである(言いたかっただけ)。

「こんな小さな私でも」とか、「私はまだこの分野に詳しくないので」とか、逃げ口上を先に使うのはなるべくやめていきたい。この分野に詳しくないのは当たり前だ。専門家より一介の大学生が詳しくなれるわけがない。それでも、少しでもロジカルに、冷静に、意見表明をしていけたら、していけたら…何だろう。いきつく先はよくわからない。一瞬「少しでも私のさらなる高みに」とか書こうとしたけど、嘘はいけないね。嘘なく、ブログなのでゆるっと。でもちゃんと考えて。いきていきたいなとおもってます(知能低下)

最後に。真似して始めるのも、誰かに言われたから始めるのも、恥ずかしいことじゃないと思う。というか恥ずかしいと思わないように生きていきたい。始める理由なんて人それぞれだし、なんていうのかな、始めない理由を探す方が簡単だし、始めないよりは始めた方が、何かにつながっていく可能性もあると思うし。

公開前のこのブログは死ぬほど可能性を秘めている。でも、公開された瞬間に、あっさりと可能性は失われていく。ネットが普及して「タブラ・ラサ(白紙状態)」の本来の意味は大分失われてきてしまった気もするけれど、一度発信されたものは二度と変えられない、ということをきちんと考えながら、このブログに与えられた可能性を、私なりに生かしていきたいと思っています。それでは、もしかすると短い時間になるかもしれないけれど、しばしお付き合いください。