雷雲とうさ耳

お笑いとジェンダーと雑多なお気持ちと少しだけ旅。

演技実践のOBOG授業に行って言われて嬉しかったことと感じたことをただメモとして残しておく。

野方にあるボビー先生のスタジオに向かいながら私は心ここに在らずだった。

3年前に履修した演技実践の授業は、東大の自主ゼミで行われたもので、私は1回目の授業に出ることすら実はできていなかった。2回目の授業が始まる前にその授業の存在を知り、TAの方にメールで頼み込んだところ「キャンセルが出たので大丈夫ですよ」と言われて履修することができたものだ。

あの時は卒論を書いている時期で、ほとんど授業もなく、ひたすらPCの前にいた。コロナ禍でみんなの心に閉塞感が漂っていた。だからこそ、なのか、それでも、なのか。就職を前に私は「最後に、どうしても演技がやりたい」という気持ちを抑えきれずにいた。私の中では最後のチャンスだった。演劇と、自らが演る側として関わる最後のチャンス。そしてその認識はおそらく正しかった。

授業の中で、私は親友への手紙を読んで号泣したり、新卒で就職した会社に入ってうまく行かなかった人を演じたり、なんだか本当に夢のような時間を過ごした。私の中にこんなにでっかい感情が埋もれていた、ということを認識したこと自体が初めてだった。

ZOOMで行われた演技実践の授業は、私の心をすごく癒したし、同時に「演じる」という型に囚われすぎていた私の演技に対する認識に、風穴を開けた。私が家で「じゃあ今日は『振られそうだけどプライドが邪魔して本当の気持ちを全部言えない人』の気持ちでいよ〜」みたいに、趣味としてやっていたアレが実は演技で、舞台の上で人目を気にしながら歌って踊っていた中高時代のアレはボビー先生に言わせれば「能や狂言と同じで型をそのまま演っている」だけだった、ということを理解した。

だからこそ、私は今回、卒業生向けレッスンに行くのも少し怖かった。就職してどれだけ私は人目を気にしただろう。あるいは、就職したこと自体が、人目を気にしてのことだったような気もする。

嫌いな人やよく知らない人からの誘いを「いつか好きになれるかもしれない」と断らない私は、少なくとも人間関係においては人目を気にしている。それだけは確かだ。

と同時に、私は仕事を辞めて予備試験の勉強をしている身で、それはもうほとんど勉強を通してギャンブルをやっているとしか言えない状態なわけで、私は今、自分が人目を気にしているのか気にしていないのかももう本当によくわからず、自分でも自分のことがわからない、と言って良いと思う。無職だし。無職が人目気にしてんじゃねえよという話ではある。でも無職だからさ、今殺されたり犯罪に巻き込まれたりしたらニュースに「○○・25歳・無職」とか、「○○・25歳・家事手伝い」とか、「○○・25歳・自称ライター」とか書かれるんだぜ、ちょっと気になるよね。気にならん?

まぁそれはよくて。置いておいて。

私は、せっかく外に出るし、レッスン前にライティングのネタでも探そうと思って野方商店街をぶらぶらしてたんだけれど、どの店も入りにくくて、結局松屋に入ってビーフカレーを食べた。こういうところも人目気にしてるんだなぁ。でも松屋で食べた初めてのビーフカレーはすごく美味しかった。味噌汁もめちゃくちゃ美味かった。普通に580円じゃもったいないくらいの値段だった。チップを払わせろ!!!CoCo壱のカレーも美味しそうだったけど。

そしてレッスン開始30分前くらいに食べ終わってしまい、「このまま行って先生と2人とかになっても気まずいなぁ」と思いながらまた商店街をぶらつき、15分経ってからレッスンに行った。でも商店街の同じところをぐるぐる歩くと不審がられそうで、人のいない住宅街まで行ってしまった。やはりめちゃめちゃ人目を気にしている。

人目を最大限に気にしながら行ったレッスンで、私は多分ひどく緊張していたと思う。自己紹介でもオヤジギャグ言って1人で笑っていたし、ヤバいな。こう書くと逆に変な人じゃん。おかしなやつだと思われただろ絶対。なんかこう、緊張しすぎると思ってもないこと言っちゃいません?私は思いついたオヤジギャグが口から出てくるのを止められなくなるんですよ。恥ずかしいやつめ。

自己紹介が終わり、いよいよレッスンが始まった。

カレーの酸味だけが口の中に残っていて、麦茶でそれを流し込みながら、「レペティション」を見る。

「レペティション」とは、相手を観察して言ったセリフを相手も繰り返すこと。それをひたすら互いに続けていく。

A「あなた、見てる」

B「私、見てる」

A「あなた、見てる」

B「私見てる」

B「あなた…笑った。」

A「私、笑った。」

B「あなた笑った!」

A「あなたも笑ってる」

みたいに、ひたすら相手のちょっとした変化を口に出し、自分でもそれを繰り返し、自分の中の何ものかを少しずつつかんでいき、相手と繋がっていくレッスンである。

これ、見ていても不思議と飽きない。人と人が何か繋がりを得ていく様は面白い。そして何かが琴線に触れて泣き出す人もいる。怒る人もいる。それも不思議で、でも只中にいればそれは「わかる」ことだったりする。

私はたまたま知り合いの先輩がいらしていたので、その先輩とペアを組み(というか先生が面白がって私たちをペアにした)、最後に回された。ずっと「なんか難しそうだな」と思っていたし、見られながら人と対面で喋るのはさぞかし恥ずかしかろうと思っていた。

でも、いざ自分がやってみると本当に、「周りが見えなくなる」ってこういうことなんだなと思った。「あなた見てる」「私見てる」「あなた見てる」「私見てる」を繰り返すうちに、本当に相手以外の何もかもが見えなくなっていく。相手の存在に自分自身がどんどん吸い込まれていき、相手も自分に吸い込まれていく。相手が楽しそうにしていないと寂しくて、相手が笑っていると嬉しい。褒められると嬉しくて、褒めても嬉しい。素直な感情だけが自分の中を充たしていく。

いつしか、先輩は泣いていて、私はすごく驚いたんだけど、「あなた泣いてる」「私泣いてる」「あなた泣いてる」「私泣いてる」と繰り返している間に、心配な気持ちとは裏腹にいつしか勝手に目の中に涙が溜まってきて、2人で泣いてしまった。すごかった。これが共鳴か。共感とかじゃなかった。感情すら通していない気がした。共鳴だった。ちょっとだけミッドサマーを思い出した。あれはやっぱりメリーバッドエンドでもなくてハッピーエンドだったのかもしれない。

共鳴は、ものすごく気持ちよかった。周りの人はあれ、怖いらしいんだけど、私はひたすら気持ちがよくて、ちょっと悪いな…という気持ちにすらなった。みんなが怖がっているものを私だけが気持ち良いと思っているのは、ちょっとアレよね。不公平な感じがするし、ちょっと加害者っぽい。しょうがないんだけど。

先生に「あなたは感受性が豊かなんだね。そしてとても柔らかい。素直なんだね。辛さを全部引き受けたんだね」と言われた。私って豊かで柔らかい感受性を持ってる〜!!!!!!!!!と久々に気がついた。そういえばそうでした。嬉しいね。レペティションをやった後だったからもう本当に褒め言葉が素直に響いて、そのまんま「嬉しい」という気持ちだけで受け取った。社会性フィルターを通さない褒め言葉ってこんなに素直に嬉しがれるものなのね。

そしてシーン(事前に渡されていたセリフを演じる)では、それぞれの人たちの演技を見るのがこれまた面白い。本当に短い時間なんだけど、最初のうちはセリフに感情を阻まれている人たちが、どんどん感情の後にセリフを話すようになっていくようになるのがわかる。こんな変化を、こんな特等席で見させてもらっちゃっていいんですか?というくらい、一つ一つのグループの変化が気持ちよくて、見ているだけでエネルギーが感じられて、気圧されながらもやっぱり元気になっていった。

演劇部最後の大会で部員がコロナになってしまい、それを先生に言うか言わまいか部長と副部長が押し問答をする、という場面だった。私は、先ほどレペティションを一緒にやった先輩とまた組まされた。

私が部長(私が部長!?)をやり、先輩が副部長をやり、私は人生で初めて「人と合わせるセリフ」が気持ち良いものだということを知った。ずっと、シーンの台本を渡された時から「こう演じたらかっこいいだろう」「こう演じたら『ぽい』だろう」という理想が存在する状態で演じる私としては、大体において人と合わせると理想通りに行かなくてイライラしてしまいがちである。いやなんでその間やねん、とか、アホかそんな言い方されてそんなこと言えるわけなかろう、とか、そういうノイズが気になる。

でも、今回は全く違った。自分をどう見せるか、自分をどう見せたら伝わりやすいか、そういうのを一回全部度外視して、副部長の言う言葉に「反応」する自分がいた。部長は私が想像していたよりも、結構勢いで喋っちゃうタイプの熱い女なんだ、ということを私は人と合わせることによって初めて知った。もっと意地悪で冷静なのかと思ってた。

私が今演っている『私』ってこういう人間なんだ、という気づきで目の前が弾けて、レペティションの時と同様、やっぱり人に見られていることに意識が少しも向かなかった。人に見られている、と思うから演じることが楽しくなくなるんだ、ということがよくわかった。

先生にはまた「柔らかいねあなたは」「ちゃんと相手の言葉に反応できてる、聞けてるね」「女優さん目指さないの?(冗談)」と言ってもらえて私は嬉し〜!と飛び上がって喜び、おかきをもらって先輩と後輩と3人で並んで高円寺まで歩いて帰りました。

あと場に存在していた人たちが全員めっちゃよかった。こんなことあるんだ。すごいね。大人になってからの出会いに感謝。